自己紹介

個人

順番が逆になってしまいましたが、自己紹介します。

現在「岡本未来共創室」というコンサル他サービス事業を行う会社の代表社員、一応社長です。開業したばかりの小さな会社でまだ何も実績ありませんので全く自慢できるところはありません。

大学は電子工学科を卒業後、日新製鋼という鉄鋼会社に入社して、広島呉市の呉製鉄所で新卒として働いていました。電子系で、大学の研究室では、プラズマやイオンの輸送方程式という極小の世界をシミュレーションするという日々の反動からか、就職では大きなものに興味があって電気メーカとかじゃなく、重工や鉄鋼会社のダイナミックさに惹かれてました。日新では制御技術課という部署に所属して計装技術のスタッフとして、製銑、製鋼ライン関連の設備改修や新技術の開発、また製鉄所全体の動力システムを集中管理するエネルギーセンターの計画などの業務に携わりました。

ただ、大阪生まれ育ちの私は大学が徳島で暮らして、徳島、四国もとても良いところだけど、自分は大阪がやはりいいなと思っていて、就職で広島呉には行ったけど、大阪に戻ると強く思ってました。日新製鋼は堺に工場があって、本当はそこに配属して欲しかったけど呉となり、また、異動できればいいかと思ってました。ところが、呉でしばらく働いていて、堺への異動希望を出していましたが、一向に話は進まず、エネルギーセンターという大型のプロジェクトの担当になり、このままでは、大阪に戻れなくなるぞと、かなり悩みましたが、転職して大阪に戻ることにしました。丁度、その時結婚も決まっていたので、会社を退職と同時に結婚と転職、そして引っ越しと、人から見ればかなり無謀なことをしているようでした。ただ、自分にとってはやると決めたら、ただやるだけ、昔からそんな感じだったので、案外普通な感覚だったのですね。転職は、現在アズビル株式会社の前身会社の一つである山武計装に入社しました。日新製鋼では鉄鋼会社ですから、プラント計装システムのユーザー技術者として、メーカーや工事会社へ発注する立場でしたが、山武はメーカーで工事を請負立場ですから、逆の立場になった訳です。さらに同じ計装、自動制御といっても鉄鋼のプラント計装と、ビルの空調計装では、全く別物といって良く、基本的なセンサーや制御の基礎は同じでも、使用する自動制御機器やシステム、施工なども大きく異なるので、山武に入って当初はカルチャーショックで、右往左往してたことを思い出します。山武では現場の技術者として、建設現場の施工管理を担当し、とにかく必死で働きました。初めて入った現場が京都駅ビルで、その大きさにはたまげました。その後は、大阪の製薬会社や、京都のオムロン本社など、入社してすぐにキャリア入社としてどんどん現場任されて、こき使われていたのを懐かしく思います。10年もたつとどんな現場でもできるなと自信もつき、実際、他の人にできないような仕事は私にくるようになりました。ひどいなと思いつつも、頑張るうちに、さらに実力もつき、楽しみながらやっていたので、大変ではありましたが、私には天職だったかもしれません。

2010年頃、超突貫工事で本当に大変だった京都ヨドバシカメラの新築工事が終わってから、今度は大阪でグランフロント大阪(当時はうめきた北ヤード)の新築工事が開始し自動制御工事はアズビルの受注が決定し現場代理人として工事責任者となりました。A,B,Cブロックと別れていてさすがに大きいので、私はBブロックのアズビル責任者でした。巨大な施設ですので、アズビルだけでなく、数多くのメーカーが参集し、Bacnetなどの通信で複雑に接続する統合型のシステムを構築していました。システムではアズビルがシステムの基幹中枢を担っていたため、私が各メーカーのシステムとりまとめのような役をやることとなり、いやあ、本当に大変だったなと懐かしく思います。システム全体をまとめるのも大変でしたが、工事もまた大変で、いつものことながら、建築工事が工程通り進まず、設備工事も遅れていき、最後はいつも自動制御、電気工事、保温工事が期限を守るために、無茶苦茶な短工期になるんですよね。2013年3月にへろへろになりながらも、何とか竣工には間に合って本当によく頑張ったなと今でも思います。でも、その後がひどい。何とか竣工の目途はついても、まだ、オープンまで残工事や業務は残っているので、東京へマネージャーとして転勤辞令がでて、問答無用で4月から東京。

自己紹介のつもりが、回想入ってきりがないので、この辺で終わります。

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